「多勢に無勢」は 武家が登場したころには、既に使用されていた慣用句であり、戦う相手の勢力の兵の数は武士にとって最大の関心事だったのです。
もしかして、果穂の台詞はすべて学生指導要領に沿っている・・・? 了解の「 了」も万端の「端」も、小学校では習わないようです。
また、毛利元就が謀略を用いて陶晴賢の大軍を厳島という『島』に上陸させ、退路を絶って島内で殲滅した『厳島の戦い』は、純粋な野戦ではないですが、「多勢が無勢を破った」戦いの典型例に数えて良いでしょう。
通常ドラマでは少数が多数を打ち破る子も珍しくありませんが、通常多勢に無勢の場合は勝ち目がない状態を指します。
ニヤつくその表情に、目こそ見えないものの昨日の快楽に溺れた顔が重なる。
(以上『言葉に関する問答集 総集編』文化庁から) 「大勢」「多勢」のように「訓が同じであるうえに字義が似ているところから誤られるケース」として、『言葉に関する問答集 総集編』が示している例を幾つか紹介します。
朝鮮出兵の慶長の役での『泗川の戦い』は、相手が異民族、場所が異国であることもあり戦果が誇張されている 敵軍が過大になっている 可能性はありますが、島津義弘が10倍以上の敵を破った戦いとして知られています。