(引用終わり) 以下は、西洋古典方面での、私の知恵袋のような役割をしてくださっている、一橋大学図書館のHさんへの最近のメールからです。
そうすれば、自分のやるべきこと、自分の意味や使命が見えてくるからと。
ルーマニアの共産党のリーダーであったゲオルグ・ゲオルギウ・デジの言葉 時よ止まれ! 僕たちはすることが一杯ある!!今日の一曲『1970年8月』 もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。
しかし、おれはその見方はしない。
聖書は重視するが、カルヴァン主義に比べてより、信仰を重視するものである。
たとえば「希望」とは、戦争が強いる極限状況下にあってもなお生きようとする強い意志をもって困難に立ち向かう人間を支える心理をいうのであり、「愛」も必然的な因果関係とは異なった次元で起こるものであり(なぜ他ならぬこの人を愛するかということについて、普通人は理論的に説明できない)、そして「信」(「信仰」と「信用」のどちらもあり得るが、ここでは文脈から「信仰」の意味であると判断できる)についても、なぜ神を信仰するのか教会関係者に問い詰めたところで因果論的思考を満足させるような回答を得ることはできない。
ルター主義は、ラテン語で「ソラ・フィデ」といい、「信仰のみ主義」と言われる。