統一教会の文先生が神になることがないのは原理講論で三位一体論を否定するからである。
来世を最終の世界と見ながらも、地上でそれにふさわしい生活をしなければ来世に天国の生活をすることができないと見るというものである。
残業はほぼ毎日あります。
地上での「祝福者」は、まさに文先生夫婦だ。
「私は統一教会を介して、平和を得ようとするかのように、他の人も自分の宗教を介して、平和を追求する」という立場だ。
果たしてこのような教義を持つ統一教が、またそのような主義のために既成のキリスト教の壊滅的な反発と受難を受けなければならいた統一教がどのように60年ぶりに、今のように成長したのだろう。