亜鉛玉と爆発物を詰めた接触雷管(contact-detonator)式の弾丸を発射するクルップ砲は、射程距離4500mで、フランスの青銅製の前装砲と比べれば猛烈な発射速度を誇っていた。
p73-74• 1871年1月18日、パリに本拠を置く国防政府はプロイセンと休戦交渉を行った。
スダンでのフランス敗北は、この戦争におけるプロイセン有利を決定づけた。
上陸したフランス軍の戦力では基隆市より先に進むには心許なく、補給面でも不安があった。
ここで再びモルトケの計画は無視されて、ドイツ第1軍と第2軍は、スピシャランとフォルバックの間にて防備を固めている仏第2軍に攻撃を掛け始めた。
彼らはライン軍をドイツ国境付近で防御態勢にして、プロイセンの攻勢を撃退する計画を考えていた。