もう一例挙げよう。
最後まで己に光を集めることをせず、家康の指針を踏襲した秀忠のおかげで、徳川家はその後264年も続いていくのです。
そもそも徳川秀忠とは、どんな人物だったのか 浜松城 11人の息子の3番目 まず、徳川秀忠の来歴を、簡単に紹介しておこう。
観客たちは秀康のその姿を見ると、はっと静まり返ってしまいました。
秀忠は3男で武勇型の武将ではなかったが、幼いころから 家督を継ぐという前提で教育を受けていたと言われている。
次兄であるはに養子として出され、のちにを継いだため、母親が三河国の名家出身である秀忠が実質的なとして処遇されることになった。
文禄元年に秀吉の母が死去した際には弔問のため上洛し、9月には中納言に任官して「 江戸中納言」と呼ばれる。