クローク係は、一寸先も見えない状態になったので煙をビル外へ排出しようと電気室の窓を開けたところ、黒煙がエレベーターホールから電気室に向かって激しく流入してきて窓の外へ噴き出したために生命の危険を感じ、ホール内へ避難しようと試みたが、すでにそれすらもできないほどエレベーターホールが煙で汚染された状態になっていた。
計20人(男性18人、女性2人)を救出した。
3階で火災発生 [ ] 22時ごろ、3階と4階で残業していたニチイ社員4人が退館した。
1970年代前半は、まだは一般的ではなかったために、日曜前日にあたったことから、営業時間全体を通して店内には客が多かった。
死亡者はおもにホール西側に集中していて、ホール出入口(アーチ)と厨房を南北に結ぶメイン通路周辺が最も多く、次に旧6階連絡通路跡の資材置場内部とその周辺が多かった。
そして1984年(昭和59年)1月13日に新しいビルはオープンし、その翌日にの営業が始まった。
煙はまだ白く、さほど量も多くは無かった。
売場内の防火区画シャッターは、一部を除いて基本的に「手動巻き上げ式」ということもあり、普段から閉店後においても閉鎖されていなかった。