齊藤社長は、チリ地震津波(1960年)と東日本大震災の二度の津波を経験されていて、しかも二度とも津波が襲った時には偶然、内陸の盛岡にいらしたんですね。
俊明がいつものように実験を繰り返していると、あるとき、成型からひとつの玉子がきれいにはがれました。
誰が何を持ち出すと。
「苦渋の選択どころではありません。
船の構造が現行法を満たしていないため通常の航行はできないというが、大きな帆を上げたいくつもの千石船が大船渡の湾に浮かぶ夢のような光景を思わず想像した。
齊藤:そうです。
岩手から東北の銘菓として販路を拡大していた同社ですが、 東日本大震災で本社、工場1棟、直営店5店舗が壊滅状態になり、3億1000万円の損失を出してしまいます。