日本人校長の判断で朝鮮語授業は続けられたという話もある。
例(1) 静岡県三ケ日国民学校4年の時終戦をむかえた大学2年生A 命ぜられるままにだんだん塗っていくうちに、戦争に関係があるところだとと云うことが解ったが、何故それがいけない部分なのか判断に苦しんだ。
4年生の後期に使った国語の教科書を思い出して見ると、1課から24課まであるうち、「燕はどこへ行く」「林の中」「川土手」「山のスキー場」「振子時計」「水族館」「母の日」 7課を残しているにすぎない。
父も母も答は同じだった。
新刊ぴっくあっぷ• 現代日本人は日本以外の列強による「植民地」ときくと、ついついイギリスのインド植民地やスペイン・アメリカのフィリピン植民地など、本国から遠く離れた植民地を連想しがちかもしれない。
前田文相は、1945年12月、衆議院で「学生は教科書なしで国史を学ばなければならない」と言明した。