離人感は自己の感覚が分離するように感じ、現実感消失は外界の知覚が分離されるように感じます。
やがて、子どもの頃からの様々な葛藤や痛みが感じられなくなり、安全で保護的な避難場所が作られていきますが、そこも憂鬱な空想が広がる不毛な場所に変わります。
そのほかにも、リストカットや車での暴走といった自傷行為が引き金となって、大量に分泌されることもあるようです。
意識が「眼差しとしての私」、つまり「見ているわたし」にあるときは「離隔」ともいえるが、意識が「存在者としての私」「見られている私」にあるとき、「見ているわたし」を感じて「気配過敏症状」となる。
後者の場合、日常的な記憶には問題がないため、おかしいとは思いながらも長い間、それが障害であると気づかなかったという者も少なくはない。
自分自身の存在の喪失で、人々との現実的接触感がなくなり、疎外されているような感じになる障害である。