上方に遊んでいた徳川家康は変の報を受け、「伊賀越え」と呼ばれる生涯最大とも言える危機に直面する事は有名です。
其時、某一人は踏止まり討死仕るべくに付、共間に御退き遊ばさるべく候。
一説には、家康が上方の情報収集のために配置したともいわれている。
ここでは家康が通過したと思われる地の写真画像を交えてその足取りを追っていきますが、このルートには諸説あり、現在も特定されてはいません。
野伏や山賊は、徳川家康を討とうとして御斎峠に集まったが、実は囮で、駕籠の中には、徳川家康ではなく、石地蔵が乗せられており、徳川家康は駕籠に乗って桜峠を越えたという。
そこで家康は梅雪に別れを告げ、一路三河へと急ぎに急いだのだが、この家康の三河までの苦難の道中のことを世に「神君伊賀越え」と呼ぶ。