西郷と1月8日に入京した木戸とは、この長州処分がどう決定するかということを横目でにらみながら交渉を続け、22日の処分正式決定を見届けたうえで盟約を成立させたのでした。
第二次長州征伐(四境戦争)は、軍備・戦術を近代化した長州藩の優勢で推移していましたが、7月20日に第14代将軍・徳川家茂が大坂城で衝心脚気のために病没すると幕府軍の士気は更に低迷しました。
1カ月後の2月23日には、幕府は長州藩がこの処分を受け入れなければ再征を実施すると布令することになります。
それぞれの見解を示すという意味での中で、展開する文章です。
その戦闘の際、西郷隆盛は足を銃弾で負傷するほどの奮戦ぶりをみせます。
禁門の変の結果、となった長州藩は幕府から第一次を受けるなど、非常な窮地に陥ることとなった。