この時、陸奥宗光は病死していたが、もし、このことを知ったら、どのように思ったのであろうか?間違ったことのきらいな陸奥宗光は大反対したことであろう。
萩原延壽 『陸奥宗光』、(2分冊)、1997年。
陸奥宗光は第2次伊藤博文内閣の時に外務大臣に就任し、日英通商航海条約を結んで、欧米諸国との間で結ばれていた不平等条約の撤廃を実現。
それから現在は、戦前から戦後を通じて、日本の首相権力や内閣のあり方が制度・イメージ・実態それぞれのレベルでどのような変遷をたどったのか、分析しているところです。
決して、机上の空論をもてあそぶ人間ではない」 陸奥宗光は自著『蹇々録』の中でこう語りました。
そのなかにはの名もあったが、陸奥はこれを一見して、一人重要な人間が抜けていると言い、自ら筆をとって伊藤博文の名を加えたという。
1892年(49歳)第二次伊藤内閣の外務大臣に就任。